やった〜!
「初出場のフルマラソン」 「そして一発サブスリー」という密かに狙っていた目標。
つくばマラソンを、グロスで2時間59分12秒(ネット2時間58分40秒)で完走しました!
以下が、つくばマラソンのログです。
怪我で10月後半から練習が思うようにできないという不安から、ペースを抑え我慢のレースを心がけた結果が良いペース配分につながったと思います。
つくばマラソンへのトレーニングを開始したのは8月13日、
よって準備期間は3ヶ月と10日。
それまでのランニング歴は、週1〜2回ほど30分のジョギングをすることはありましたが、5月初旬から8月13日までのランは0回。運動はジテツウ片道20キロを週1〜2程度
トレーニング開始時の体重は欧州遠征で食べまくった結果の70キロ(マラソン当日62.3キロ、カーボローディング前60.8キロ)
体力的にはほぼ0からのスタートといっても良いものだったと思います。
8月13日からスタートした3ヶ月のトレーニング計画の1ヶ月目はランナーとして基礎的な体つくりと走る習慣の定着
週5回のジョギングを目標とし、ペースは決めず好きなように走るのみ。疲れてないときはキロ4分50秒から5分で走るのが僕的に気持ちの良いスピード。
最初の1週間は10キロ走るのがやっと。
1週間後に自宅から職場までの20キロ走を敢行。
3週間後に30キロ走を敢行するも脚が止まるともう一歩も走れなくなることを初めて体感。
とにかく段階的、
トレーニングは裏切らない、走る度にその距離をこなせるようになる。
2ヶ月目は10月3日のハーフマラソン出場を視野に、スピード系トレーニングを入れる。
身体も元気で、週末に長距離走、火曜、木曜にインターバル、ペース走。
といった感じでポイント練習を週3回行っていた。参考にしたメニューはこちら
この時はトレーニングする度にペース走のタイムを更新。3ヶ月間の中でも一番トレーニングが楽しく充実していた時期。
そして迎えたハーフマラソン。この大会でつくばの目標タイムを決めることにしていた。
計算方法はよくネットにでていたハーフからフルのタイムを算出する方法、
「ハーフマラソンの記録×2+10分」というもの
そして挑んだ10月3日のベジタブルマラソンin彩湖、記録は1時間25分3秒
計算ではフルマラソンの目標タイムは3時間0分6秒
気温32度で給水10回以上 1周5キロ4周コースの1周毎に3回も土手と橋の登りがあることを考慮してもまだ1分以上は縮められた感覚もあった、、
となると、目標はサブスリー、、
当初は3時間15分くらいに考えていたが、まさか自分がサブスリーを狙うとは思っても見なかった。
この時につくばに向けての意欲が上がってくる。
ハーフの後、治療院に通うプロトライアスリートの柳井賢太選手にサブスリーに向けたアドバイスを依頼、トレーニング内容について指摘を受ける。
・ポイント練習を週3回から2回へ(3回では故障する危険が高い)
・ジョグはキロ6分以上早く走らない
・僕の場合はスピードはフルマラソン的には問題ないが、筋持久力が不安材料
といったアドバイスをもらう。その他も色々。さすが指導に定評あるだけに一つ一つ分かりやすい。
特にポイント練習以外は回復なので、ジョグを5分前後で走るのは良くないと言われるが、ゆっくり走る意味を身体が完全に理解しきれず、ジョグの6分だけはこの時はなかなか出来なかった。
ハーフが終わり、本番まで1ヶ月半。サブスリーを意識したメニューを10月しっかりこなし、11月にはいり本番までがリカバリーというプランを立てるが、この頃から身体のキレがなくなる。
僕も職業柄十分に、休息が必要なことは理解していて注意していたので要所で休息を心がける。
ジョグのキロ6分の重要性を理解したのもこの時。
ただこのころから「メニューを遂行しなければサブスリーは見えない」的な意識が強くなり、身体が発する声に耳を傾ける意識が弱まったのも事実。
そして10月18日に行った、キロ4分30秒の37キロペース走でおかしくなる。
このトレーニングの疲労感は長引き、ここで初めて1周間の休息を設けた。
休養1週間から挑んだ10キロペース走。自己ベストを狙うも最初から身体は重い、そして6キロ走って今まで全く違和感を感じなかった下腿に違和感を察知。明らかに良くない痛みとはすぐに分かり練習中断。
下腿前部の慢性のコンパートメント症候群そしてその後に明確に露呈するシンスプリント兆候。
頭は真っ白。なぜならそれは「もう走っちゃダメ」、、というサインだから、、
油断
37キロペース走を30キロにしていたら多分大丈夫だったのか、、、、
いやいや、、それ以前に身体の声を無視してメニューの遂行にこだわっていなかったか?
客観的に僕が僕の患者だったらと考えなおす。
そこで投げかける言葉は「あなたはメニュー遂行に傾倒しすぎて体の声を聞けていない」
でも、この時の僕には「でもサブスリーの為には必要なトレーニングなのです、、」という返答しか持ち合わせてい事に気づいてしまった。
こなすことが目的のトレーニング。
翌日はさいたまクリテ、会場で会った白戸太朗さんから、「ナカノ君〜、今まで君はいろんな人に「勇気を持って休まないとダメ」って言ってきたでしょう。その言葉をそのままナカノ君に送るわ〜」と言われ返す言葉もなかった。
そう、僕は怪我の察知力だけには長けているつもりだったが、全くもって「つもり」だったわけだ、、
メニューは大切、でもその怖さを身をもって体験。仕事場で関わる選手の同様の過ちなども僕が何度も目にしてきた事なのに、、。
この経験だけでも施術家としてマラソンにチャレンジした甲斐があったわ、、
とりあえず2週間のノーランニングを決める。
ただし、ロードバイクトレーニングは下腿の問題とは無関係と思い、せめて心肺機能の維持のためと自転車に乗るが、まったく身体のキレがないことに改めて気づき、更には自転車でも下腿の痛みが増長してしまう。よってここで2週間の完全休養を決断。
つくばまで1ヶ月。ここで完全休養とは、、もうサブスリーは消えた。
よって、つくばのキャンセルを決め、1月31日も勝田マラソンにエントリー。目標を変更する。
2週間後ジョグを再開。
違和感はだいぶ和らいでいるが、まだ完全ではない。
11月は全部ジョグと決め、12月から勝田マラソンに向けて始動するプランに頭を切り替えた。
怪我から3週間後の11月13日、違和感もなくなり、なんとなく10キロペース走がしたくなる。
自己ベスト。
サブスリーに向け目標としていた38分切りをここでクリアしてしまった。
それ以上に良かったのが身体の疲れがかなり抜けた感触。
そう10月頭のようなあのキレキレの感覚。
怪我の功名ではないが、長期の休養はつかれた身体には良く作用した、、これも客観的に当たり前だが。
つくばマラソンの1週間前の出来事。
この1ヶ月間、10キロ以上走ったことはなく、パフォーマンスの低下は心配だが、身体の切れる感じを信じ、ここでつくばマラソンのエントリーを決めた次第。
心残りは減量。つくばに出ると決めた一週間前では流石に60キロを切るまで絞る時間はなかった。
それでも出ると決めた一週間前の63キロから大会3日前までに60.8キロに絞る。カーボローディングして1.5キロほど増えるだろうが、、
というのがつくばマラソン参加までの経緯です、、、
つづく、、(予定)
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