ゴールのマドンナ・ディ・カンピーリオ。
1999年にパンターニが優勝し、ファウスト・コッピと肩を並べたと称された伝説のステージ。
当時僕もゴールには居たもののパンターニの記憶は無く、あるのはケーブルカーでしかアクセス出来無いゴールまで選手の荷物を上げるのに非常に苦労した思ひで、、
パンターニは数日後、当時のルール、ヘマトクリット値50超えでジロから除外。
その後、チームに関係なく、ジロの全関係者に向けられたブーイングと、目の前で起こった暴動の記憶はかなり鮮明に覚えています、、
レースはアルベルトがジロ・ディ・イタリアの全体像を考えた絶妙の走りで3位。
インタビューでは区間優勝を狙っていたと話し(譲ったのでは無いかとの推測を打ち消すように)、区間優勝のランダを称えていました。
そして、パンターニの思いを馳せて走ったとも。
決して強さだけでは無い、彼のキャラクターやラテン民族としての親近感など、多くの要因がイタリアでの人気の高さに繋がってるようですね。
コメントを残す